「聖女の救済」ドラマ化で草薙の恋心を消去したTV局側の意図は?

TV局に怒りの声が殺到!?

2013年6月に、天海祐希が犯人役を演じたテレビドラマでの「聖女の救済」。しかし、このドラマを観た視聴者からTV局へ怒りの声が殺到したそうです。

怒りの声をあげた視聴者は原作ファンのようで、「またつまらなくした」「原作どおりにつくり直してほしい」「原作とはまったくの別物。ガリレオを名乗らないでほしい」などと怒りをあらわにした声などが殺到したそうです。

また、あるテレビ誌のライターさんなどは、次のようコメントしました。

『ドラマ版の脚本は、綾音(天海)と湯川が中学時代の同級生という設定が強引に加えられていたり、岸谷(吉高由里子)が捜査を湯川に丸投げしてしまったりと、全体的に大雑把な話に変えられた印象ですね。なによりこの話のキモである、綾音に恋心を抱くはずの草薙刑事(北村一輝)が出てこない。原作をテレビ用に変えるのはいいんですけど、『ガリレオ』はいつも変え方が雑なんですよ。“スタッフが原作を大事にしていない”と思われてもしょうがないですね』

僕ももちろんこの時にTV放映を観ました。僕もはっきり言って原作よりもつまらないと感じました。だから、原作ファンの僕としても、怒りの声をあげている人たちの気持ちも決して分からなくはないです。

ですが、僕はこのようにも思うのです。ドラマという限られた時間(約二時間)の中で、「ガリレオ」色を最大限に出すためには、あの設定も仕方なかったのではと。

TVドラマ「ガリレオ」は、難解な事件を科学的に解明していくのが最大の特色のはずです。だから、「聖女の救済」でも、犯人がどのようにヒ素で殺害したのかが最大のポイントになるはず。この最大のポイントを十分に表現するためには、小説にあるような「彩音に恋心を抱く草薙刑事」という設定は、時間が限られたTVドラマでは表現しきれないのでカットしたのではないでしょうか?もし、この部分にも焦点をあてるとすれば、殺害方法を解明していく場面が十分に表現できないと考えたのではないでしょうか。

小説を読んだ人ならこの感覚を理解してくれるのかもしれませんが、殺害された義孝の妻・彩音に草薙刑事が一目ぼれしてしまう場面を最初に読んだ時に、「なぜ一目ぼれ?」と釈然としないものを僕は感じました。しかし、小説を読む進めていくうちにその草薙刑事の心情も徐々に理解できてくるんですね。

この草薙刑事の心情が明らかにされていく部分も、確かにこの小説のキモの部分であったと思います。でも、その部分をTVドラマで再現するとなれば、それなりのカット割りが必要になることでしょう。だから、そういう設定にはせず、彩音が湯川の中学時代の同級生であったという、そんなカット割をあまり必要としない設定にしたのではないでしょうか?

そもそも草薙刑事は、小説版と違って、特に二回目のドラマシリーズでは主要な登場人物ではありません。それにも関わらず、「聖女の救済」の回にだけ唐突に現れて、容疑者に恋心を抱く刑事という重要な役割を担わされたとしても、原作も読んでいて草薙刑事のキャラクターをよく知っている人ならいざ知らず、今回のガリレオシリーズだけを観ている視聴者からすれば、草薙刑事の恋心など、どうでもいいことのように感じてしまうのではないでしょうか。そして、それを見越してのTV局側の『草薙の容疑者への恋心は消去する』という判断だったのではないでしょうか。

もちろん、以上のことは僕の推測でしかないのですが、このように考えると、安易にTV局サイドに怒りをぶちまけるという気持ちには、僕は到底なれないですね。唯一、それを言えるとすれば、原作者の東野圭吾さんだけなのではないでしょうか。

>>>小説【聖女の救済】のあらすじはこちらから

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