「カッコウの卵は誰のもの」2つの疑問

東野圭吾の小説は、いつも思いがけないドンデン返しが用意されていて、それが飽きない要因の一つではあるのだが、そのドンデン返しの反動なのか、たまに論理が破綻しているのではないかと思われるようなことがあることは確かだ。

「カッコウの卵は誰のもの」という小説も、そのように感じた小説の一つであった。

僕がこの小説に感じた疑問点は以下の2点。

  1. 風美の母親・智代は何故自殺しなければならなかったのか?
  2. 上条文也は、バスに細工するのを躊躇しなかったのか?

以上が僕が感じた疑問であるが、なぜ疑問に思うのかをそれぞれ説明してみようと思う。

風美の母親智代は何故自殺しなければならなかったのか?

智代は、自分の子供を流産してしまった悲しみから、同じ病院で産まれた赤の他人の子供を奪って、夫にも内緒で自分の子供として育てていた。しかし、やがて良心の呵責に耐えかねて自殺に追い込まれた。それが、風美の母親が自殺した原因だと最初は考えられていた。

確かに、これだと自殺する原因だと考えてもさほど不自然ではない。

しかし、調べていくうちに、風美の実の母親は智代の親友であり、その親友が自分が死ぬに当たって、自分の子供を智代に託したことがわかった。こうなると、智代が自殺するまで追い詰められていたことが不自然に感じるのである。

確かに夫には秘密にしていたという負い目はあったのかもしれない。そうだとしても、自殺までするのは不自然である。結果として、親友に託された子供を育てることさえも放棄したわけだから尚更である。

上条文也は、バスに細工するのを躊躇しなかったのか?

上条文也が風美が乗ろうとしたバスのブレーキに細工をしたのは、自分が病気で苦しんでいるにも関わらず、父親は風美という女性スキーヤーにうつつを抜かしており、その嫉妬からだと警察に供述していた。ブレーキに細工したということは、当然大事故につながることもあるわけで、風美が事故死することもあり得るのである。実際に、そのバスに乗り合わせた文也の父(風美の実の父でもあるわけだが)は、その事故が原因で亡くなっている。

しかし、文也がバスのブレーキに細工をしたのは、むしろ風美と育ての親である誹田宏昌を守るための行為であったことが小説の最後に明かされている。

ここでどうしても不思議に思うのである。文也は、ブレーキに細工をすることで取り返しのつかない事故が発生することを予測しなかったのだろうか?と。へたをすれば、文也の行為で風美が事故死したことも考えられるわけなのだから。

>>>小説【カッコウの卵は誰のもの】のあらすじはこちらから

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