「白夜行」の雪穂と亮司は愛し合っていたのか?

<上記の画像は、ホームページ「TBSチャンネル」より引用>

雪穂は亮司を愛していたのか?

「白夜行」を読んだ人たちの間でよく話題にあがるのが、主人公の男女(雪穂と亮司)の間に『愛情』があったのか?ということである。

なぜこのことが話題になるかというと、この小説の主人公の男女の心理描写がまったく描かれていない一風変わった手法で描かれた小説だからである。主人公の男女の心理は、言動や行動、又は、周りの人の言動・行動・心理描写などから想像するしかないから、主人公の心理が余計に話題になるわけである。

僕自身も、この小説読んで一番分からなかったのが、雪穂は亮司を果たして愛していたのだろうか?ということである。
ドラマ版「白夜行」では、雪穂も亮司を愛していたかのように表現されているが、小説「白夜行」を読む限りでは、どうしてもそのようには思えないのである。

確かに、大事な存在であったことは、小説のほとんど終わりのページの辺りで雪穂が自分の店の従業員に対して語った次の言葉から間違いないであろう。

「あたしの上には太陽はなかった。いつも夜。でも暗くはなかった。太陽に代わるものがあったから」

『太陽に代わるもの』とは、亮司のことを指していることは明らかである。雪穂は他人に平気で嘘をつく人間であるが、この言葉が嘘である必然性がないことから、雪穂の本当の気持ちを語ったことは疑いようがない。亮司を『太陽』とまで言っているわけだから、大事な存在には違いなかったであろう。

でも、それが『愛』であったかと問われるとはなはだ疑問である。ひょっとしたら、世の中で唯一信用できる人間として利用したに過ぎなかったのではないか?という思いがどうしても拭えないのである。

それに引き換え、亮司は確かに雪穂を愛していたと思う。
小説は亮司の自殺というショッキングな幕切れであったが、亮司が自らの命を投げ出したのは、明らかに雪穂を守るためである。自分の父が雪穂にしたことの贖罪の気持ちが大きかったかもしれないが、自分のことよりも雪穂の幸せを優先していたと思われるふしが他にも多々あるからである。

でも、雪穂が亮司を守るために自分の命を差し出すであろうか?僕の考えはNOである。

なぜなら、雪穂は高校の時に「本当に馬鹿だよね。たかが男のことで死ぬなんて」と、当時の家庭教師に語っている場面があり、この言葉が雪穂の男に対する根本的なスタンスだと思えるからだ。つまり、男のために自らを犠牲にするほどの愛情までは持ち合わせていないということである。

亮司の死体を見て雪穂は無表情であったと描かれているが、その心の声を想像するとゾッとするものを感じるのである。

「これからは誰が私を守ってくれるの?」という限りない欲望に・・・。

>>>小説【白夜行】のあらすじはこちらから

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