「手紙 」の中で、加害者家族に対して語った平野社長の言葉が衝撃だった。

差別はね、当然なんだよ

この言葉は、強盗殺人犯の弟になってしまった武島直貴に、彼が勤める会社の平野社長が言い放った言葉である。
強盗殺人犯の弟からだといって彼自身に罪があるわけではない。それでも、罪のない彼までも世間が差別するのは当然のことだと社長は言ってのけたわけである。

この小説のキモの部分は、何といっても直貴とこの平野社長との会話の部分であろう。その会話のすべてを読むと、決して平野が非情な人間ではないことが分かる。それどころか、直貴に同情しながらも距離を置く人達に比べれば、ずっと直貴のことを真剣に考えてくれているのが分かるのである。

「差別はね、当然なんだよ」という言葉は、直貴との一回目の会話で平野社長が語った言葉であるが、二回目の会話で語った言葉はもっと衝撃的だった。

その言葉が、

逃げずに正直に生きていれば、差別されながらも道は拓けてくる-君たち夫婦はそう考えたんだろうね。若者らしい考え方だ。しかしそれはやはり甘えだ。自分たちのすべてをさらけだして、その上で周りから受け入れてもらおうと思っているわけだろう?仮に、それで無事に人と人のつきあいが生じたとしよう。心理的に負担が大きいのはどちらだと思うかね。君たちのほうか、周りの人間か

もちろん、社長の答えは、心理的負担が大きいのは周りの人間ということである。

これを言ってしまっては加害者家族に救いはないような気がするが、納得せざるを得ない言葉である。何の罪もない家族にも一緒に一生消えない十字架を背負わせてしまう、それが犯罪というものなのであろう。

毎年100人に1人が犯罪を犯している?

でも、しょせんは小説の中での出来事。僕自身も、どうしても客観的立場で捉えていることは否めない。
しかし、犯罪白書によると、年間100万人前後の人が刑法犯として検挙されているようである。毎年、100人に1人が犯罪で検挙されている計算になる。

この数字をみると、加害者家族になってしまうことは決して珍しいことではないことが分かる。現在自分がそういう境遇でないのなら、それはむしろ幸運なことなのかもしれない。

自分もいつそういう境遇になるかもしれない。自分の身近な人にそういう境遇の人が現れるかもしれない。そう想像しながらこの小説を是非読んで欲しい。

>>>小説【手紙】のあらすじはこちらから

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