「パラドックス13」での“イブ”発言
<上記の画像は、ブログ「On The Road」より引用>
“イブ”発言を酷評する人たち
「パラドックス13」の中での登場人物である久我誠哉の“イブ”発言には、不快感を感じている人も多いようである。中には、「きっと、東野圭吾自身がそういう考えの人なのだろう」と言う者さえいるようである。
【小説「パラドックス13」内での“イブ”発言とは】
この世界に残された者たちで、新しい世界を作らなければならない。新しい世界を作るためには、子孫を増やしていく必要があり、この限られた男女の中でより多くの種類の遺伝子を残していく必要がある。そのためには、男女とも、複数の相手との子供を作らなければならないという、という発言。
実際に、この発言を誰かから直に聞いたなら、僕自身も不快に感じたかもしれない。しかし、これは小説である。この小説内での発言がきっかけでこの作品を酷評する人がいるのはどうかと思う。なぜなら、「こういう考えを持つ人もいるだろう」ということが書かれているに過ぎないからである。ましてや、「東野圭吾自身がそういう考えの人なのだろう」と断じることは、まったくもってナンセンスである。
それに、こうも思うのである。今、自分たちはこの環境にいるからこそ、この“イブ”発言を不快に感じるのではないか。この小説にもあるように、「世界が変われば価値観も変わる」ということである。今のこの環境で、どんなに想像を掻き立てて考えたとしても、そこから導き出された答えは、その環境下での答えに過ぎないということである。
僕は、東野圭吾氏は、他人の考えに対して、ニュートラルな立場でいられる人間だと感じている。これは、彼には主義・主張ががあまり無いということではない。自分と違うからといって、他人の主義・主張をばっさりと切り捨ててしまうような人ではないということである。実際はどうなのかは分からないが、東野圭吾氏をそのような人間だと考えていることが、僕が東野圭吾作品を好きな一番大きな理由なのかもしれない。