TVドラマ「危険なビーナス」がいよいよ最終回を迎えるが・・・

危険なビーナスがいよいよ今週の日曜日(12月13日)に最終回を迎えるようだ。

「伯郎と明人の母を殺した犯人は?」とか「明人の妻の楓の正体は?」などの話題がネットをざわつかせているようだが、僕は原作を読んで分かっているので、そんなところに興味があってテレビを観ているわけではない。原作が、映像化に当たってどのような脚色がされているのかが楽しみで観ているのである。

今回の「危険なビーナス」が、東野圭吾が執筆した原作と大いに違うところは、伯郎の妄想シーンが多用されているところだろうか。しかし、この妄想シーンについては批判的に捉えている方が多かったように思う。

その一番の原因は、明人の出番が回ってきたような演出が来週の予告として流されたが、次週のオンエアでは、それが実は伯郎の妄想の中に過ぎなかったことが明らかになったからであろう。明人の出番を心待ちにしている視聴者にとっては、この演出は大いにがっかりさせるものであったろう。その期待外れの妄想シーンの演出が、その後の妄想シーン全般への拒否反応につながっていったのではないだろうかと思う。

原作を読んでいる僕は、こんなにすぐに明人が登場するとは思っていないので、この予告を観た時も、単に誰かの思考の中で登場するに過ぎないだろうと考えていたので、明人の登場がなくてもがっかりすることはなかった。しかし、原作本を読んでいない視聴者が勘違いするのも致し方ないと思い、少し酷な演出だと思ってしまった。

ここで話が変わってしまうが、東野圭吾作品が映像化されたもので、今まで一番その演出に関心したのは、「白夜行」のテレビドラマ化である。

東野圭吾が執筆した原作本では、物語の主人公である亮司と雪穂の心理描写が全く無いという、それ自体が特異なものであったが、テレビドラマ化では、逆に二人、特に亮司の心理が克明に描写されるという演出であった。

こうなると、原作本とはまったく違う観点で観ることができ、この「白夜行」のテレビドラマは非常に楽しめたのを覚えている。次回の放送が待ち遠しかった。

ただ、原作本とかけ離れた演出をすると、原作マニアからの強い拒否反応が起こることもあるので、その辺のさじ加減が非常に難しいところですね。

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