『人魚の眠る家』のあらすじと感想
『人魚の眠る家』のあらすじ
11月18日に発売した東野圭吾の新刊『人魚の眠る家』を昨日読んでみました。この『人魚の眠る家』は、東野圭吾氏の作家デビュー30周年を記念する作品であり、5月に発刊した『ラプラスの魔女』に次ぐ30周年記念作品の第2弾となるものです。
この『人魚の眠る家』のあらすじはここには書かず、僕が運営するサイト【東野圭吾ナビサイト】のほうに記載したので、そちらで確認していただきたいと思います。
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『人魚の眠る家』の感想
東野圭吾というとミステリーのイメージが強い作家でありますが、この『人魚の眠る家』をミステリー小説と期待すると、肩透かしを食らうことになるかもしれません。
ただ、それはミステリー小説を“事件や犯罪の問題解決への捜査などを描いた推理小説”と捉えているからであって、ミステリーという単語の元々の意味に“神秘的”や“謎”などの意味があることを考えると、この『人魚の眠る家』はまさに人体にかかる“神秘”や“謎”としても描かれており、そういう意味ではミステリー小説であることにはかわりがないと思うのですが。
また、『人魚の眠る家』というタイトルからファンタジー小説を想像したとしたら、その人もこの小説を読んで肩透かしを食らうことになるでしょう。
つまり、この『人魚の眠る家』は、推理小説のようなドキドキ感は味わえないし、ファンタジーのようなワクワク感も味わうことはできません。どちらかというと、読み進むうちに気持ちが沈んでいくような作品であります。だから、エンターテイメント性しか望まない読者は、むしろこの小説は読まないほうがいいと思う。この『人魚の眠る家』という小説は、読者を単にワクワク・ドキドキと楽しませるような小説ではなく、むしろ問題提起に比重を置いた小説であると思うからです。
この小説は、“脳死”や“臓器移植”に関する日本の現状や海外との違いを素材として物語は展開していきます。だから、“脳死”と“臓器移植”の諸問題について考えさせられることはもちろんなのですが、この小説の本質は、もっと違うところにあるような気がしています。その本質とは、人間は真実を論理的よりも感情的に捉える生き物だということ。つまり、論理的に真実を捉えれば、真実は紛れもなく一つであるにも関わらず、個々の感情によって真実は違った見え方をしてしまっているということである。そして、そのことを理解することが、他人を理解することができる唯一の道かもしれないということである。
僕は、この小説『人魚の眠る家』を読んでこのように感じたのですが、さてさて、あなたはこの小説を読んでどんなことを感じることになるのでしょうか?
新聞の広告を見て、買って読みました。どんな話か全くわからないまま読み始めましたが、どんどん引き込まれてしまいました。読み終えても尚、現実にある問題だけに身に摘まされました。最後が潔く、素晴らしい結果となり、清々しい気持ちです。久しぶりに途にか一気に読み進めたいと思った本でした。
天神林千鶴さん、コメントありがとうございます。管理人もこの小説を読んで随分考えさせられました。命って神秘的なものですが、人間の感情というのもまた神秘的なものですね。
同感です。
論理ではなく感情の判断は否定できないこと再確認しました。
読み終えても、死体と暮らしていた と認めたくない自分が強い。
母親が判断した時期は、本来もっと遅くても良いぐらいだが、母親自身も納得や疲れを含め現実、周囲のリアクションから現実的(論理的)に戻ったとの解釈。
論理は時系列で変わることは稀でしょうが感情は時系列で変化してよいもの、変化すべきものなのだと思います。
taさん コメントありがとうございます。
「感情は時系列で変化すべきもの」というのは、まさに真理だと管理人も思います。
時系列で感情が変化しない人間がいるとすれば、それはもはや人間とは呼べないのではないでしょうか。
私は東野圭吾の中でも最高傑作のひとつだと思います。また、こんなに答えの出ない話はないでしょう。
ある意味、さまよう刃よりも重いと思います。
雪穂LOVEさん
コメントありがとうございます。
正解のない答えを探し求める・・・これが人間であることの醍醐味なのかもしれませんね。
東野圭吾の頭の中はどうなっているのでしょう??
原発のの問題
物理学
脳科学
母親の立場まで考えてしまうのでしょうか。
面白い作品でした。
ほたるさん
コメントありがとうございます。
本当に東野圭吾氏の知識・思考の幅はハンパないですよね。
いろいろなジャンルの小説を書いてくれるので、それも楽しみの一つですね。
私の息子は出産事故により生まれてから約一年脳死のような状態で生き、心不全でなくなりました。
この作品で当時の私の気持ちに引き戻された気分になります。眠ったまま生きていた息子の存在はわたしの心と世間ではかなり溝があったと思います。なんとなく思っていたことが、この小説でクリアになったと思います。
今でもあのまま生きていたことはあの子にとって幸せだったのか私のエゴだったのかとふと思う時があります。最後に瑞穂ちゃんが枕元に来てくれたことがとても羨ましく感じました。
よしママさんへ
コメントありがとうございます。
僕にはよしママさんのような辛い経験がありません。僕だけでなく、ほとんどの人がよしママさんような経験はないのです。
この小説を読んだ時、当事者の気持ちになったような気がして涙を流したことを覚えていますが、本当の辛さや希望を持つ心というのは、やっぱり当事者しか分からないと思います。
だから、当事者が下した判断をエゴだと責めることなんて誰にもできないと思います。もし責める人がいるのなら、それこそエゴだと僕は思います。