東野圭吾の小説『殺人の門』を読んでみました!

「殺人の門」では、奇想天外なトリックなどはまったく描かれていないので、本格ミステリーを期待して読むと期待外れになる。
読者を感動させるような人間ドラマが描かれているかというと、そういう場面もまったくない。

田島和幸が倉持修という幼なじみに騙され続け、彼に対しての殺意を増幅させていくが、なかなか殺すまでには至らない姿が淡々と描かれている。
なので、「はじめて読む東野圭吾の作品としてはおすすめできない」などと評している人も少なくないようだ。

でも、僕はこの小説のリアルさが結構好きです。

殺人というのは、ほとんど人にとって、リアルに感じることができないことだ。ミステリー小説と言えば殺人が付きものですが、現実社会ではそうそう身近に起こることではないからだ。

しかし、「殺意」と考えた場合はどうだろう。

この小説で描かれている「田島和幸が倉持修から受けてきた仕打ち」を同じように自分も受けたとしたら、それでも殺意は芽生えないと言い切れるだろうか?多くの人が「殺してやりたい」ぐらいは思うのではないだろうか。しかし、殺人を実行に移す人がほとんどいないというのも、これもまたまぎれまない現実だ。多くの人間が、実行の段階で思い止まるものである。

この「殺人の門」という小説は、その辺の人間の殺意に対する葛藤がリアルに描かれていると思う。

「何度も懲りずに騙され続ける主人公にイライラする。こんなバカな人はいないだろう。その辺がもう一つ現実味がない。」と評し、面白くないと感じている人も多いようだが、果たしてそうであろうか?ロクでもない奴だと分かっていても、何故だが離れることができない人間関係って、現実の世界でもたくさん存在するものだと思う。

僕の知り合いにもそういう女性がいた。その女性は日常的に交際相手の男から暴力を受けていた。
彼女の友達が「そんな男とは早く別れたほうがいい」とアドバイスするのだが、なかなか別れようとしないというのだ。
「別れを切り出せば、その男から何をされるか分からないから」という理由かと思いきや、そうではなかった。暴力のあとに見せる男の優しさが忘れられないというのがその理由であった。

このようなことが現実の世界でもあるのだから、主人公の行動を現実味がないと切り捨てるのは、非常に偏った考え方だと思う。
現実は、理解できないことが満ち溢れているのだから・・・

>>>小説【殺人の門】のあらすじはこちらから

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